エアーズロックキャンプツアー体験記
先川原 淳一


出発まで
オーストラリアに来たときからクロさんには何かと世話になっていた。今までにポートスティーブンスのツアーなどクロさんのツアーには何度か参加したことがあり、エアーズロックのツアーのこともクロさんから聞いていてずっと行きたかった。
僕がクロさんのエアーズロックツアーに参加しようと決心したのは、仕事が終わって帰るいつもの夜明け前の薄暗い道を歩いているときだった。僕は、シドニーのシティーのカラオケボックスで働いていた。スタッフ達や回りの人は、みんな明るくて楽しく別に仕事にも不満があるわけではなかったが、毎日忙しく夜働いて昼間寝る生活で毎日同じ事を繰り返しているうちにだんだんと何かを無くしていくような気がしていた。
数週間後、仕事をやめた。何かすっきりとした。次に何をしたいとか、何もなかった。これから見つければ良いし、エアーズロックのツアーに参加すれば何かが見えてくるような気がした。
 とにかくこのツアーに参加する事は僕にとって一つの大きな区切りになることは確かだろうと思った。 自分の中の何かが変わるような気がした。

出発の日
ツアーは毎日驚きの連続だったが、それは出発の日からいきなり始まった。今までキャンプとかキャンプツアーに全く経験の無い僕は、スタート前から失態を演じていた。
確かにクロさんから荷物はスポーツバッグにまとめるように言われていたのだが、荷物が多いし、大きなスポーツバッグも持っていなかったので、そんなに深く考えずに、というより、旅行に行くときはあたりまえだと思っていたのだが、全てをスーツケースにつめて、集合場所のクロさん家に重たいスーツケースを引っさげてやって来た。クロさんは、僕の姿を見るなり、「キャンプにスーツケースで行くやつがあるか!!」と言って、ちょっと来なさいと僕を別の部屋に連れて行きスーツケースを開けさせた。僕は、10日以上の旅になるという事で、着替えのズボンやシャツを、6枚づつくらい用意して、綺麗に丸めてスーツケースにつめていたのだが、クロさんは、ズボンの替えなんか一本でいいと言って、どんどん要らない物をはじかせて行った。結局荷物は、僕が用意してきた3分の1ぐらいになり、クロさんが用意してくれたスポーツバッグに余裕で収まり、「これでよしっ」とクロさんは僕に向かって「にこっと」笑ったのだった。僕はそれまでどんどん少なくなっていく荷物に不安を感じていたのだが、クロさんの笑顔を見て、「僕はこの人に全て任せてついて行けばいいんだ!」と妙に安心してしまった。事実、ツアー中のクロさんの動きには、全く無駄が無く、常に的確に状況を判断し行動していく。そして僕は、ツアー中に僕自身のおろかさのために自分をとんでもない状況に落とし入れてしまい、結局クロさんに危機一髪のところで助けてもらう事になるとは、この時点では、想像もしてなかった、、、。


ここで今回の参加者を紹介しよう。
なっちゃん

北海道出身、クロさんツアーの常連でタスマニアに行ったり、クロさんのダイビング仲間の一人。

ゆうこちゃん

佐賀県出身。なっちゃんの友達で、彼女もクロさんツアーの常連。日本から、お母さんと妹が来たときに、クロさんツアーで、ヨットのセーリングをしたり、イルカのツアーに行った。お母さんは、クロさんの大ファンらしい。

たけちゃん

僕の友人でいっしょにカラオケボックスで働いていたが、日本に一旦帰国。今回は短期の予定できている。今回のツアーには僕が誘った。

そして僕

千葉県出身。オーストラリア大好き人間。滞在年数は長いがあまり旅行はしていない。今回の旅で何かをつかもうとしている。


いざ出発!!
夕方からクロさんの家に集合!!クロさんが作ったご飯(クロさんはシェフの経験は無いが料理は絶妙に美味い!)をみんなで食べてあと片付けしてみんなで次の日の朝食用のおにぎりを作る。
荷物の積み込みをみんなで手伝い、いっぷくして忘れ物など確認したあと出発。
いよいよ待ちに待った、ツアーの始まりだ。夜中に出発なんてなんかぞくぞくしてしまう。車の中は興奮状態。高速に乗ってブルーマウンテンの山道に入る頃には、なっちゃん達女の子は、うとうとし始めた。ぼくは、何度か友達と車で来たブルーマウンテンの山道も真夜中に走ると随分雰囲気が違うもんだなと思いながら外の景色を眺めていた。

雪が降ってきた!
ブルーマウンテンを超え、リスゴーの町のを過ぎたころ夜中の2時半ごろだろうかガソリンスタンドで給油。外は凍えるように寒い。思わずホットコーヒーを頼んで飲んだ。給油後走り出すとなんと雪が降ってきた。真っ白い雪がフロントグラスにバンバン当たって来て視界もだいぶ見えなくなってきた。オーストラリアで雪を体験するのは初めてだ。エアーズロックはもっと寒いのかな?

寒い朝ご飯
その後バザースト、オレンジ、ダボなどの町を通過し、朝の7時ごろに名前は忘れたけれど小さな町に着いた。
クロさんが止まったのは、町の端の公園だった。トイレもちゃんとあった。「さあここで朝飯だ」とクロさんが公園のテーブルに食事の用意をした。車の後ろは荷物で一杯でどこに何が入っているのかなと思ったが、ひとつのクーラーボックスの中に全部用意されていた。外は寒かったが、昨夜作ったおにぎりと温かい味噌汁の味は格別だ。みんな無言で頬張った。


ブロークンヒル
コバーの町のインフォメーションセンターに寄った。銅の鉱山で一時は栄えたらしい。コバーの町からはいよいよ、いわゆるアウトバックと言われる内陸部だ。コバーの町から次のウィルカニアの町はなんと260キロもある。
そして今日の目的地ブロークンヒルまでは更に196キロだ。このあたりまで来ると道は本当にまっすぐだ。遠く地平線まで続くまっすぐな道というものを生れて始めて見た。野生のエミューもあちこちに見えてきた。
それにしてもブロークンヒルは不思議な町だ。ニューサウスウエルズ州内なのに、シドニーと30分の時差がある。クロさんに聞くと「この町は、隣のサウスオーストラリア州の州境と50キロしか離れていないので、行政区分は、NSW州だけど生活経済的には、SA州なんだよ。だから時間もSA州に合わせているんだ。」と教えてくれた。確かにこの町は、シドニーから1150kmも東西にはなれている。町の中心地にあるインフォメーションセンターに立ち寄ってから私達は、町外れの小さな空港に隣接するフライングドクターの基地を見学に行った。内陸の牧場に住む人達は、病気になってもすぐに医者にかかれない。病院も近くにないし救急車を呼んでも町からは何百キロもあるので間に合わない。だからお医者さんが自分で小型飛行機を操縦して患者のところまで行くのだそうだ。オーストラリアの大きさをあらためて驚くと共にそんな過酷な条件の土地に住む人達に言い知れぬ尊敬の念を感じた。
この日の夜は、町外れのキャラバンパークのオンサイト キャラバンに泊まった。この日は時間節約でテントは張らなかった。これは、使わなくなったキャンピングカーをそのまま宿泊施設として使っているもので、ちょっと狭いが、使い勝手はとてもいい。最高6人まで泊まれるので4、5人なら快適だ。それにしてもオーストラリアのキャラバンパークは素晴らしい。何処の町にもたいてい1つか2つは必ずあるし、テントを張る芝生のスペースから、トイレとシャワーが中に着いているオンスイートキャビンと言うものまで値段と用途様々なニーズに対応している。僕達が泊まったのは、シーツ(リネンと呼ぶ)などは自分で用意し、トイレシャワーは外の共同のもの(アメニティーと呼ぶ)を使う一番地元の人にとっては一般的なものだそうだ。僕はこんなところに泊まったことがないので、いちいち感動してしまった。特にトイレとシャワーがとても綺麗なのには驚きだ.これはこのあとのどのキャンプ場でも同じだった.そしてこの日の夕食は、すき焼きだ。毎日の食事の内容は、旅の前のミーティングのときに全員で話し合いで決めた.かなりわがままなメニューにもクロさんは応じてくれた.食料は全てシドニーで買い込んできたので、ビールとワインを買い、たらふく食べて飲んだ。
マッドマックスの撮影現場
次の朝ブロークンヒルの町をちょっと離れたところにシルバートンというめちゃめちゃシブイ町に行った.まるで西部劇のセットだ。この町の先の小高い丘から見える果てしなく続く道がマッドマックスの映画の撮影現場だそうだ。映画を見たのは、はるか昔の事で良く覚えていないが、そういわれればそんな感じがする。とにかく、果てしない、ただひたすらに果てしない荒野だ。

州越えの検疫所
ニューサウスウエルズ(NSW)州からお隣のサウスオーストラリア州に入る所に検疫所がある、植物や食物などにつく害虫や、病気などを他州に持ち込ませないためだそうだ。特に旅行者は、クーラーボックスの中などを入念にチェックされる。

 


マグネティックヒル 
ピーターボローという蒸気機関車のある町を抜けてひたすら荒野を走っていたら、クロさんはおもむろに脇道を左に曲がり、誰もいない道を更に車を走らせた。車はアップダウンする岡をいくつか越え、緩やかな下り坂でクロさんが車を止めた。エンジンを切ってクロさんが、さあこれから何が始まるでしょう?と言って、サイドブレーキを離した。すると、なんと車はゆっくりと後ろに坂を上がり始めたのだった!!??「えーっ!なんでー?」全く不思議でしょうがない。「くろさん、もう一度やってください。」何度もやってもらう、降りても見た。しかし車は坂を登っている。オーストラリアには、不思議なところがたくさんある。ここにUFOが出てきてもおかしくないくらいだ。

フリンダースレンジス国立公園
ホーカーという町で燃料や食料(もちろんビールも)を調達した後、更に奥に走り、キャンプ場についた。すぐにテントを張り、食事の準備。テントは、6人用で、かなり大きい。中で立っても頭はぶつからない。しかもエアーマットがあるからふかふかだ。
この日の夕食は、なんと豚キムチとご飯。メチャうまだった。そして食事の後は、ビールやワインを片手に焚き火を囲み、星空を見上げながら、話はだんだんとマジになって、夜更けまでそれぞれの人生を語る。こんなことが自然に出来るのも大自然に囲まれているからなのだろうか。

飛行機 
午前中はキャンプ場の近くの飛行場から小型機でフリンダースレンジス国立公園を空から楽しんだ。パイロットも含めて4人乗りの飛行機なので2組に分かれて飛んだ。こんな小さなセスナ機に乗るのは生れて初めてでかなり緊張した。地上からでは分からない馬蹄型のウィルピナパウンドが綺麗に見えた。
カレーうどんの昼食を食べてから午後はブッシュウォーキングを楽しみ野生のカンガルーたちに出会った。

事件
事件はこの夜起きた。焼肉をたらふく食って、ビールを飲み、ここにはとても書き切れないくらいたくさんの話をして、時計を見るともう12時近かった。シャワーを浴びてもう寝ようという事になった(トイレ、シャワーはテントから10メートルくらいですぐそば)のだが、ぼくは、急になんだかシドニーに残してきた彼女の声が聞きたくなって懐中電灯を借りて、キャンプ場の事務所の横にある公衆電話に電話をかけに行った。ここでは、ケイタイも通じない。テントを張った場所から電話のある場所までは、歩いて7、8分ぐらいだ。事務所の外は夜でも街灯がついていて、ぼくはその明かりを頼りに歩いていった。(彼女との会話の内容は、ナイショ) 電話が済むとぼくは、テントに戻ろうとして歩き出した、、、はずだった。事務所の周りとは対照的にキャンプ場は、真っ暗で何も見えない。
ぼくは歩いてきた道をその通りに帰って行ったつもりなのにテントになかなかたどり着かない。おかしいなあ、確かこっちのはずなんだけど、、、歩き出して30分ぐらいたった。もうさっぱり方角さえも分からなくなった。だんだんあせってきて怖くなって、走ったら木につまずいて転んだ。懐中電灯を拾い直して、ぼくは、これ以上進むことをあきらめ、もう一度事務所に戻ることにした。事務所に戻って、時計を見るともう午前1時を回っていた。テントを出てから1時間以上も経つ。ああ、朝までここにいるのかなあー、みんな心配してるかな、それとも先に寝ちゃってるのかなー、それにしても寒いなーしまいには、ここで凍え死んだら、カンガルーとかに食べられちゃうのかなーなどといろいろ考えて、どんどん心細くなってきた。その時だった。遠くで「ジュンイチ−、ジュンイチ−」とぼくの名を呼ぶクロさんの声がした。助かった!!「くろさーん」、ぼくは、すがるような思いで駆け寄っていったのだが、「なにやってんだ、バカ!」と、怒られてしまった。「夜中に勝手に出歩くやつがあるか!」 「すみません、、、」 ぼくは謝るしかなかったのだが、本当にありがたっかた。一時間経っても帰ってこないぼくを心配して、たけし君がもう既に寝袋の中に入って寝ようとしていたクロさんを起こして探しによこしてくれたのだった。クロさんはいつまでもガスランタンの明かりが消えないのは、ぼくとたけし君が外で話をしているのだと思っていたそうだ、うとうとしかけたときに、たけし君が、「すみませんクロさん、ジュンイチが戻って来ないんです、、、」との一言に「なに!?」とすぐに起きて探しにきてくれたのだ。クロさんありがとう!クロさんは僕の命の恩人です!
テントに帰ってから、何度も謝るぼくにクロさんはもういいから早く寝なさい。と言われ、すぐに寝袋に入ったが、なかなか寝付けなかった。転んだ時の傷がちょっとうずいた。考えたら、シャワーにも行けなかった。
         次の日の朝食は、ぼくの話で大笑いになったのは言うまでもない。でも、ほんとに笑い話ですんでよかった、、、。

いよいよ砂漠に突入 
 テントをたたんで、荷物を積み込み山道をしばらく走り向けるとまた荒野が広がってきた。途中で舗装路は終わり、石ころだらけのがたがた道になった。車の中での会話も聞こえないので必要なこと以外は、黙って外を見ていた。延々と続く砂漠。オーストラリアの砂漠は、僕の砂漠のイメージとちょっと違っていた。砂ではなく石ころと土である。植物もところどころ生えている。広大な荒野という感じだ。

レイクエアーサウス(大塩湖)
やがて、道の脇に白いものがちらほら見えてきた。雪かなと一瞬思うのだが
こんなところに雪が降るはずも無い。「塩だよ」とクロさんが言った。「もうすぐ塩湖につくからね。車がエンコしないように気をつけなくちゃ!」さむーー!やっぱりさっきのは雪かも??!!
そこで見た塩湖の景色は僕たちの想像を絶した。「すっげぇーーーー!!!」湖と言っても向こう岸なんか全然見えない。見渡す限り真っ白い塩だ。地球の景色とは思えない。

砂漠の中のパブ
砂漠の中にポツリとパブが立っている。これが有名なウイリアムクリークホテルである。パブの天井からは様々なものが吊り下げられ壁一面には名刺や写真 学生証など訪れた人が記念に貼り付けたりしたのだ。みんな普通は一生に一度くらいしか来ないから自分の貼った物は2度と見ることは無いのだろうが、クロさんの名刺はちゃんと目立たないところだが残っていた。ここでVBをたのんで一杯やった。うまい!うますぎる〜〜! パブのまえで写真を取っていたら、1台の4駆のパトカーが止まった。中からカウボーイハット姿の警官が2人降りてきてパブに入っていった。おーい白昼堂々と警官が飲酒かよ!と思いながらもパトカーの前で写真をとっていたらそのうちの一人が出てきた。一瞬、怒られるのかなを思ったら、いっしょに写真とってやろうかみたいなノリで、めちゃフレンドリーな警官だった。

360度の地平線
ウイリアムクリークからはまっすぐ西にクーバーペディ−に抜ける。まだ、石ころだらけの道を160キロも走らなければならない。クロさんの説明だとこのあたりに世界最大の牧場があるらしい。約3万平方キロメートル。単純に考えても100kmX300km。信じられない。自分の牧場に何頭牛がいるかなんて絶対わからないんじゃないかな?
しかし今までの景色にはいくら果てしなく続いているといっても遠くのほうに山があったり、潅木があったりして完全に360度一直線(矛盾した表現だが意味はわかるでしょう?)の景色ではなかったがここに来て生れて初めてそんな景色を見た。見渡す限りまっ平らで何も無い、正に360度一直線の地平線なのだ。これはかなり凄いと思った。そんなところでだんだんと日が暮れてくると夕焼け空も、雲も何もかも素晴らしく美しいが、日が暮れてからの星空が凄い!!夜空がプラネタリウム状態なのだ。地平線ぎりぎりまで星が全部見えちゃっているのだ。星にもかなり詳しいクロさんは南十字星の他にもあれやこれやと説明してくれるのだが、その声も耳に入らないくらい感動に酔いしれてしまった。

砂漠の中の星空
そしてクーバーペディーの町の町にたどり着いたのは、夜の9時前だった。ここではキャラバンパークのキャビンを利用したのでテントを張らなくても良かったのですぐ晩飯の準備をして食って寝た。翌朝、この町はオパールの産地で有名なのだが、地下の博物館や地下の教会などを見学してオパール探しに出かけた。ヌードリングと言うそうだが、オパールを掘った後の瓦礫の中をオパールを探すのだ。本格的に掘るには採掘権を支払わなければならないが、ここはただで探せる.初めは張り切って探したが、全然無い!クロさんは何やらかけらを見つけたそうでゆう子ちゃん達に見せているがこんなところから価値のあるオパールを見つけるなんて宝くじを買ったほうが早いと思った.
その後億万長者になることをあっさりとあきらめた僕らは、そこら中がありの巣だらけのようなクバーペディ−の町の郊外の採掘場を眺めながら、スチュアートハイウエイを北上して行った.昨日までの砂漠の道とは打って変わって舗装された道路を快適にひた走る。もうこのあたりに来ると土は真っ赤だ。アウトバックと呼ばれるオーストラリアの内陸部の土は、強烈に赤い.これも写真などで見て知ってはいたものの実際に見ると感動と驚きだ.途中ガソリンスタンドの横の公園のベンチでランチを取ったが、横のテーブルに座っていた.アボリジニの家族達と僕たちの間に漂う不思議な緊張感がたまらなかった。

やっとたどり着いたエアーズロック、サンセットを見ながら乾杯!
ラッセターハイウエイに入り、マウントコナーと言う台形の形をした大きな岩が見えるところで休憩を取り、僕達はようやくエアーズロックの近くのユララの町に到着した.
ユララは、エアーズロックの唯一のリゾート地というか、町というか、砂漠の真中にあるとても不思議な場所だ.ユララについた僕たちはすぐにキャンプ場にテントを張り、エアーズロックの夕日を見に行った。 国立公園の入り口を過ぎると、巨大な一枚岩が、眼前に迫ってきた。ついにやって来た!「やったー!エアーズロックだ!」車の中は興奮状態になった。サンセットポイントには既にたくさんの人が集まっていて日本人観光客の姿もちらほらと見えた。みんな、飛行機でぽっと飛んできてツアーに参加して、シャンペンなんか飲んでいる。俺達はこいつらとは違うんだ砂漠を越えていろんなものを見てきたんだ.とかなり優越感を感じた.僕たちも車の中の冷蔵庫(クロさんはいつも氷を入れたクーラーボックスの中にビールなどを冷やしていて、冷蔵庫と呼んでいる。)からつめたく冷えたビールを出して、「かんぱーい!」今まで生きてきた中で一番おいしいビールの味だった。
その日の夜は、キャンプ場のキッチンでスパゲティーを作って食べた。エアーズロックのキャンプ場は素晴らしい。キッチンに行くといろいろな国の人がいろんな食べ物を作っている。イギリス人やドイツ人が多いようだ。スパゲティーを腹一杯平らげた後は、ご飯を炊いて朝食用のおにぎりを作った。

サンライズ
次の日僕達はまだ暗いうちにクロさんに起こされた。眠い目をこすりながら慌てて仕度をして車に乗り込む。既に道路はサンライズを見に行く人たちで混み始めている。国立公園入口を過ぎ、しばらく行くとクロさんは他の車を尻目に昨日行ったサンセットポイントに車を止めた。他には離れたところに車が1台停まっているだけで他には誰もいない。遠くのエアーズロックはまだ暗闇の中はっきりその輪郭も分からないが、
やがて東の空が白み始めるとふもとの方からだんだんと輪郭がはっきりして来た。
そして僕達は次の瞬間感動で息を飲んだ。朝焼けのグラデーションの東の空にそびえ立つエアーズロックのシルエットから 朝日が僕達の目を突き刺したのだ。うわーっこれは凄い!これを見せるためにクロさんはあえてサンセットポイントでサンライズを待ったのだ。僕は夢中でシャッターを押した。数分で太陽は巨大な岩の上に昇って来た。「さあ今度はサンライズポイントに行こう。」クロさんの声で私達は車に飛び乗った。サンライズポイントでは大型バスなどが何台も集まり、既に大勢の観光客が寒そうにしながら朝日に赤く染まっているエアーズロックを見ていた。日本人もたくさんいた。僕達は車を止めるなり、他の観光客を尻目にあったかい味噌汁とおにぎりの朝ご飯を食べ始めた。なんと言う贅沢なのだろうと思った。

登頂―いよいよエアーズロックに登る! 
登山口に来るともう既にありんこのように人が岩に群がっている。小さな点が登山道に沿って一本の線になって不規則に動いているから本当にありんこのようだ。僕たちもトイレを済ませ、飲み水などをリュックに入れ、エアーズロック登頂の第一歩を踏み出した。「いってらっしゃーい!」クロさんが声をかける、クロさんはもう何回か登っているので、先住民のアボリジニの意思を尊重して登らないのだそうだ、僕はちょっとズルイなと思いつつも元気一杯「いってきまーす」と出発した。はじめの20メートルは元気一杯だったもののだんだん息が荒くなってきた。クロさんにも何時間かかってもいいからゆっくり登って、必ず頂上まで行って来なさい。途中で引き返してはいけない」といわれているのでお互いの調子を見ながら少しずつ登って行った。ツアーで来ている人達は、往復で2時間とか制限時間があるのでそれがプレッシャーになって最初の急な登りでバテてしまって頂上まで登れない人がよくいるそうだ。途中で休み、振り返るとかなり高度が上がって遠くのほうまで見渡す事が出来る。遠くにはマウントオルガやユララリゾートなども見える最初の3分の一の急斜面を越えると後はアップダウンはあるけれど比較的楽なコースが頂上まで続く。頂上と示す名盤の前で記念撮影。やった!とうとうエアーズロックの頂上に来た。みんなで抱き合って喜んだ。あたりが360度見渡せる。とても爽快な気分。なぜかオーストラリアを征服してしまったような気分になるから不思議だ。
下りは結構怖かった。でも登るときに時折強く吹いていた冷たい風もほぼ止み、太陽がだんだん高くなるにつれ、気温も上昇し、汗も出てきた。下に降りるとクロさんがコーヒーとビスケットを用意して待っていてくれた。「お疲れさん、登頂おめでとう!」 そのあと、エアーズロック周辺に住むアボリジニの人々の暮らしや歴史などを紹介する、カルチャーセンターに立ち寄り、見学した。地元のアボリジニの人たちの生活が再現されていたりしてとても勉強になった。、そこで昼食を済ませた後、僕達は、次の目的地マウントオルガへ向かった。

マウントオルガと風の谷
36個の丸い岩の集まりのあるこの場所は、先住民の事がではカタジュタと呼ばれ、この一部には、ナウシカで有名な風の谷もある。僕達は、オルガ峡谷を散歩した後、いよいよ風の谷の一周3時間のトレッキングコースへと向かった。かなり気温も高くなったのでしっかりと水をリュックに入れて出発。思ったよりきつくない。ナウシカの姿は見えなかったが、オームのようなドーム(丸い岩のこと)がたくさんあって宮崎駿さんの想像力に少し納得した。帰りの車の中からは、遠くに紫色に浮かぶエアーズロックがとても美しかった。キャンプに戻った僕たちはかなりへとへとに疲れていたが、クロさんの指示のままに夕食を準備した。長かったがとても充実した一日が終わり、あらためてビールで乾杯。格別の味だ。何だかんだ言って毎日ビールを美味しく飲んでいてとても幸せだ。今日の夕食はカレーライスだ。キッチンに居合わせたオージーのキャンパーにもおすそ分けしてあげたらとても美味しいといって喜んでくれた。そのうちの一人のおばさんは、女性なのになんとなくクリントンに似ていた。

キングスキャニオン
リゾートのショッピングセンターでお土産などを買った後、僕達はキングスキャニオンに向かった。距離300キロ時間は4時間ほどのドライブだが、昨日の疲れかみんな車の中で寝ていた.毎日ほとんど一日中運転しているのにクロさんだけが元気だ。キングスキャニオンのキャンプ場もなかなかいい感じだ。広々として清潔でおまけにプールまである.
テントを張り、昼食をとり、熱いのでプールで涼んだりして、少し休んでからキングスキャニオンのトレッキングコースの入口まで車で行った。キングスキャニオンは切り立った崖にぐるっと取り囲まれた峡谷なのだが、これから僕達が挑戦するコースは、一周4時間崖の上をずっと歩いていくコースだった。クロさん曰くキングスキャニオンに来てこのコースに行かなかったら来た意味が無い。初めの登りは結構きつかったが、途中アップダウンはあるものの割と平坦だ。途中コースの所々から向こう側の崖や真下の景色が見えるが、オシッコちびりそうなぐらい怖い。クロさんも再三、注意を促す。しかし崖の上から、見える景色は確かに凄い。なるほど、エアーズロックのキャンプ場で会ったイギリス人の女の子達もキングスキャニオンを楽しみにしていると言っていた訳がわかったような気がする.ここはある意味でエアーズロックより凄いかもしれないと思った。
しかし今日もよく歩いた.キャンプ場の横にあるパブでビールを仕入れ、乾杯!
翌朝、朝食後テントをたたんで出発。このキングスキャニオンが、今回の旅で出発地のシドニーから一番遠い場所になる.走行距離は既に3500kmを超えた.地図を見ながら随分遠くまで来たんだなあとしみじみ思う。でもオーストラリアは更にでかい。いつかこのでかい大陸を今度は自分の力で周って見ようと密かに決意した.
          帰り道は来た道と一部を除いてほぼ同じなのだが、クロさんは帰り道でもたくさんの見所を用意してくれていた。が時として予期していない出来事や人物に遭う.旅とはそういうものだ。

えっ こんなところに柴俊夫が!!?
クーバーペディーに泊まり、行きとは違う塩湖の上でたっぷりと遊んだ後、ガソリンスタンドに立ち寄った。すると10人くらいの日本人のグループがベンチでハンバーガーを頬張っていた。その中の一人に見覚えがある。たけし君が「あっ、柴俊夫だ」と小さく叫んだ。クロさんも俺達もここでランチにしようと言った。僕達は、ちょっと遠慮してテーブルひとつはさんだ処に陣取ってハンバーガーを食べだした。すると、柴俊夫本人がむこうから「君たちジャパニーズ?」と言って声をかけて来た。「はいっ!」と元気よく答えた後、彼は気さくに色々と話し掛けてきた.テレビの旅番組の撮影出来ているそうだ。いっしょに写真取って下さいと頼んだら快くOKしてくれた。そして僕たちが頼んだわけでもないのに「君たちの車の前で撮ろう」と言って食事が終わってないにも関わらず、わざわざ場所を変えて写真に写ってくれた.そしていろいろと話をしてくれたし僕たちのこともいろいろ聞いてくれた.なんかとっても感じのいい人だ.単純な僕はこの日から柴俊夫のファンになることに決めた.
クーバーペディーからブロークンヒルまでの道は、約1000kmもあるが、途中のポートオーガスタの町の赤い海は異様な光景だった.ポートオーガスタを出て、山を越えたあたりから、素晴らしい牧草地帯が続くのだが、このあたりから夕暮れになり、辺りの景色がピンク、紫、水色、黄緑色と、鮮やかな色彩身彩られた景色が晴れしなく続いていく光景は、この世のものとも思えなかった.この日はブロークンヒルに夜の9時に到着。予約してあった、キャラバンパークのキャビンに泊まった。

無線学校見学
ブロークンヒルでは朝から無線学校見学へ。教室に入ると既にたくさんの人が椅子に座っていた。お年寄りの団体ツアーの人たちもいて、賑やかだ。なっちゃんは、クロさんが車の中で説明していたときに寝てたらしく「このおじいちゃん達が生徒さん?みんなこれから無線の勉強するのー?」と一人でトンチンカンな事を言っている。!遠隔地の牧場の子供達が無線で勉強するのだ。「私達の教室の屋根は青空だ!」と教室の前に書いてある。日本ではないこの風景に感動した.それにしてもクロさんのツアーは自然と触れ合うだけでなく、オーストラリアの文化などとても勉強になる.自分だけで回っていたらとてもこんな経験は出来ないだろう。
 ブロークンヒルを出てからクロさんの撮影の仕事の下見という事でホワイトクリフトというオパールの産地の町に寄リ道をしたのでこの日の宿泊は、ニンガンのキャラパーになった.けっこう豪華なキャビンで嬉しかった。

日本人捕虜収容所のあった町
最後の目的地はカウラという町だ。ここには、日本人捕虜収容所跡地、日本人墓地、日本庭園など、日本人にゆかりのあるものばかりで、脱走事件の話など前からクロさんに話を聞いたり、自分でも本を読んだりしていたので絶対一度いってみたいと思っていた場所だ.説明を聞きながら、実際こうして、その場所に来て見ると、当時日本人の捕虜達は、どんな思いでここで生活し、何を考えて集団脱走に踏み切ったのだろうと、感慨にふけってしまう.
その後僕たちは順調にブルーマウンテンを越え、シドニーの町に戻ったのは夜の9時近くだった.シドニーの町の灯りが見えたとき「アー、やっと文明社会に戻ってきた.」と思った.

こうして行く先々で数々の驚きと数々の感動を繰り返しながら、僕たちの旅は終わった.
という短い間では会ったが、本当はもっとたけし君、ゆうこちゃん、なっちゃんのこととか、彼らのエピソードも書きたかったのだが、毎日の旅の内容と共に全てを書いたら1冊の本が出来てしまうだろう.クロさんの説明なども長くなりすぎるのでほとんど省かざるを得なかった(本当は全部覚えていないからだけど)。
でもこの4人と一緒に旅が出来て本当に良かったと思っている。もちろんいろいろな事を教えてくれたり経験させてくれた(僕の命の恩人!?)クロさんには感謝してもし切れない。

そしてツアーが終わってみて自分の中で何か変わっただろうかと自分自身に問い直してみた。ツアーに出かける前は何かとてつもなく大きなものが自分の中につかめるような気がしていた。あまりにもたくさんのものを見、たくさんの経験をしたので自分の中で整理がつかないでいるというのが本当のところなのだろう。これから何をしたいのかという問いにもすぐ答えを出せないでいる。ただ、このたびによって自分が一回り大きくなった事は確かだろう。そしてこれから何をして、どう生きていっても何か自分の中に自信のようなものを得る事が出来たような気がする。
またいつか今度は自分の力でオーストラリアを旅してみたいと思った.

以上